Part2 60年代に頂点を迎えた「レコード芸術としてのジャズ」
1960年代のジャズについて、いまだ積極的に語られていない側面がある。一点は、1964年のビートルズがアメリカ進出に伴う、主に経済的な側面から見たジャズの動向。60年代のアメリカ音楽と社会はビートルズ進出以前と以後で大きく異なり、その影響はジャズにおいても決して小さなものではなかった。従ってビートルズの存在を視野に入れることなく60年代のジャズを語ることはできず、極論すればビートルズが登場しない「ジャズの歴史」はありえないともいえる。デューク・エリントンが《抱きしめたい》を録音、カウント・ベイシーが全曲ビートルズのカヴァー・アルバムを吹き込むような状況に追い込まれたことは、やはり特筆すべき出来事だといえる。さらにもう一点として、プロデューサーの視点からの考察が殆どなされていないことが挙げられる。ミュージシャンが名演を生み、プロデューサーが名盤を生み出すとすれば、そのプロデューサーについての言及こそが、とくに60年代以降のジャズにおいては不可欠に思える。すなわち60年代のジャズとは、ライブとスタジオにおける表現が明確に分かれ、ある意味でプロデューサーがミュージシャン以上にジャズを先導した時代として位置づけられる。
本放送(Part2)には、1960年代に吹き込まれた名盤が16枚登場するが、この16枚を見る限り、60年代ジャズの名盤の多くは、アルフレッド・ライオンとクリード・テイラーという二人のプロデューサーによって生み出されていたことが改めてわかる。ちなみにライオンは16枚中5枚のブルーノート盤に関与し、一方テイラーは7枚のアルバム(インパルス、ヴァーヴ、CTI)に関わっている。つまり、16枚中、実に12枚ものアルバムがライオンとテイラーによってプロデュースされたことになる。(おそらくこの占有率は、他の名盤選の基準においても同様の結果になる可能性が高い)
つまるところ60年代とは、ジャズが“レコード芸術”として頂点を極めた時代として捉える事が出来る。すなわちライオンとテイラーが生み出したのは、「レコーディング・スタジオの中でのジャズ」であり、“作品/商品”としてのジャズにほかならない。いいかえれば60年代とは、ジャズといえどもロックやポップスと同様のプロダクション・ワークが求められた時代とも言える。そこには当然のことながら周到に準備されたシナリオがあり、それはここでは紹介していないが、オーネット・コールマンの『フリー・ジャズ』やジョン・コルトレーンの『アセッション』でさえ例外ではない。そして1969年、マイルス・デイヴィスはウッドストックから2日後、スタジオに入る。そして生み出された『ビッチェズ・ブリュー』は、60年代を総括すると同時に次代の方向性を決定づけることとなる。
本放送(Part2)には、1960年代に吹き込まれた名盤が16枚登場するが、この16枚を見る限り、60年代ジャズの名盤の多くは、アルフレッド・ライオンとクリード・テイラーという二人のプロデューサーによって生み出されていたことが改めてわかる。ちなみにライオンは16枚中5枚のブルーノート盤に関与し、一方テイラーは7枚のアルバム(インパルス、ヴァーヴ、CTI)に関わっている。つまり、16枚中、実に12枚ものアルバムがライオンとテイラーによってプロデュースされたことになる。(おそらくこの占有率は、他の名盤選の基準においても同様の結果になる可能性が高い)
つまるところ60年代とは、ジャズが“レコード芸術”として頂点を極めた時代として捉える事が出来る。すなわちライオンとテイラーが生み出したのは、「レコーディング・スタジオの中でのジャズ」であり、“作品/商品”としてのジャズにほかならない。いいかえれば60年代とは、ジャズといえどもロックやポップスと同様のプロダクション・ワークが求められた時代とも言える。そこには当然のことながら周到に準備されたシナリオがあり、それはここでは紹介していないが、オーネット・コールマンの『フリー・ジャズ』やジョン・コルトレーンの『アセッション』でさえ例外ではない。そして1969年、マイルス・デイヴィスはウッドストックから2日後、スタジオに入る。そして生み出された『ビッチェズ・ブリュー』は、60年代を総括すると同時に次代の方向性を決定づけることとなる。


